「言語は沈黙によって実現されない。黙ることは自己表現の一つの方法であるが、その不当さがまたわれわれを言語のなかに投げかえすからである。さらにその上に、語の自殺が試みられなければならない。この自殺は語につきまとって果たされないから、白紙のページへの誘惑か、意味を失った言葉の狂気に語を導くことになる。だがすべてこれらの解決は幻影である。言語の残酷さは、それが自己の死を絶えず呼び起こしながらけっして死ぬことがないところからくるのである。」(モーリス・ブランショ『焔の文学』所収「カフカと文学」)
・トークショーに行く前にセザンヌ展に寄ったのだけど、休館日で特別招待券がないと入れないらしく残念そうにしていると、小綺麗な格好をした穏やかそうなマダムの二人組がやってきて「良かったらどうぞ」といってチケットを譲ってくれたので入れた。
・驚いたのが保坂さんもちょうどセザンヌ展に行ってから来たということだった。自分にはセザンヌは分からない、ちょうどエルミタージュ展の広告が出ていてそこに描かれているマティスの方がぐっとくる、というような話から絵画の話題になる。
*その話の前に、冒頭ひょっとしたら今日来れなかったかもしれなかったという話。
前日、妻から外は天気が良くて気持ちいいというメールがきて、それに対して「風薫る五月かな」ってメールを打とうとしてだいぶ苦労して打った。というか今が五月なのかどうかが分からず苦労した。飼い猫の命日が(数字には強いはずなのに)まるで出てこない、など。
それで翌日高校の同級生でとても信頼している関野君という医者に連絡したら小さい血栓が出来た可能性があって、もしそれが写れば一週間以内に脳梗塞を引き起こす可能性があるとのことで、CTを撮ったけど何もなく、とりあえず今日やってきた。(けど過去に一度できた形跡が発見された)。
「何かおかしなこと言い出したらだから今日は止めるかもしんない。いっつもおかしなこといってるから分かんないけど」
・ホワイトボードに絵を書き出した。何かいびつな形状で、「これ分かりますか?鳥なんですけど」って言われるまで誰も分からない。本人も絵の絶望的な下手さを嘆きながらも実に楽しそうに描いている。モンドリアンの絵を描きながら「おれがモンドリアン描いてる」といってにやにやしている。
・マティスの版画のような絵が、全然異なる形のものを組み合わせて(最初はそれになることを想定してないままに)鳥を描いてるあの感じがやりたいとも言っていた。
・地震が異様に怖い(カフカ式のなかにも津波への潜在的な恐怖が幾度か書かれている)。中学生の頃、喧嘩が異様に強くてスケコマシの友人が教室でちょっとグラっと揺れたくらいの地震で机の下に潜り込んでみんなにからかわれたときに「じゃあテメエら地震に勝てんのかよっ!」って怒った。
・自分(保坂)もちょっとした揺れですぐあたふたする。揺れる前から常にどうやって逃げるかを考えてるくらいで、シミュレーションしたりもする。(といって逃げる動作を壇上で実演してみせたら客席から失笑が漏れる)。どこかの建物に入るとすぐに「この建物は震度いくつまで耐えられますか?」などと尋ねたりする。
・「これは誤解を招くかもしれないが」と何度も注意を促しながらも、3.11の日に津波の映像を延々三十分くらい見ながら、ある種荘厳な(「壮麗な」だったか)ものを見るかのような気持ちを抱き、「形あるものは滅びる」ということが実感されたのだという。「記録を残すことなんて全部意味がないんだなあと思った」
・2003年頃になんとなく書き始めて、たまに読み返すと面白いと思うが作家は自分の書いたものが面白いといってもスポーツ選手が自分のプレイを録画してチェックするようには小説家の場合にはできない(外側に立てない)ので、信頼している磯崎憲一郎に読んでもらったら「面白いじゃないっすか」といわれ、文學界の編集者にも面白いといわれ形にしていった。
・「カフカの断片とかアフォリズムみたいのがとても好きで、だけどああいうのって死んでから出版されるような感じがするでしょ?なんとなく。そんで、えっと、これも最初は僕の友達の遺稿を発見したものって体裁をとろうとなんとなく考えてたの。でも別に生きてんのに出したって構わないわけじゃない?誰が決めたわけでもないんだし」
・小説というのは最低限のお約束のようなものが守られて成り立っていて読者がそれを前提としているだけでなく書き手の方もまたそれを当然のように思っているところがあって、カフカ式ではそうした力学に抗うようなことをやろうと思った。(両手でゴムを持って同時に離したときにどちらへ引っ張られるかわかんないような感じ)
・ある著名な学者(70歳くらい)の方に献本したら凄く丁寧な手紙が来て、その人はカフカを全く読んだことがなく、またミルトンの研究者として有名な人で17世紀のイギリス文学を専門としているような人なんだけど実に細かく読み込んだ感想が書かれていた。
・百何ページの彼とその数ページ先の彼の心理的な変化が分からない、しかし三百何ページに至ってようやくあのときの心情が理解されたとか、何故カラスと猫は頻繁に登場するのに犬や他の鳥は登場しないのか、その意味をずっと考えて今も結論に至っていないとか、この種の誠実な読み方にはただ申し訳ない気持ちで頭が下がるくらいの謙虚さを自分(保坂)は持ち合わせていますよ、といって苦笑していた。
・カフカの恋人に宛てた手紙が異様に長く、そして読み物として面白いという話。カフカは恋人に宛てた手紙をたくさん書いていて、しかもただ多いだけでなく、月曜に投函した手紙に対する返事が来るのを待つどころか相手が読んだかも定かでないうちにすぐに次の手紙を書き始めて火曜には投函してしまう。そしてあまりに多くなっていくから混乱を避けるため途中で「これから手紙には番号をふっていこうと思います」みたいなことが書かれる。
・エロは中学生止まり。この点では阿部和重と一緒。おっぱい大きいなー、ケツでかいなー、がそのままエロさの感想になる。だから丸谷才一がエッセイで書くような「ここまでこうなったらあとはムフフ、わかるでしょ」みたいなこと書かれても「わかんねえよっ!」てなる。でもこういうことをいうと丸谷さんは「だからそういうホサカくんみたいのが一番スケベなんだよー」となるんだけど。
・高校のときにとびきり頭のいいやつがいて、一人が冒頭に話した、医者の関野君、もう一人は円城塔の師匠である金子邦彦、それから樫村晴香。この話をだいぶ前に小島信夫さんに話したら小島先生は何故かその話を関野君と樫村晴香と保坂和志の三人とインプットしてしまったらしく、その後何度訂正をしてもいったん書き込まれてしまった記憶を書き換えることはついにできなかった。この話を先生が方々でするものだからバカな評論家(名前は出さなかった)が「あいつは自分が頭が良いと吹聴してるんだ」と陰口を叩かれたといって笑った。
・最近書いてるエッセイでは老境に入ってボケても仕事ができるような体勢を組んでいる。小島信夫を目指して。
女は生まれてきて、死んでいくことが怖かった。死んでいくことを考えてると、生まれてきたことも怖くなった。自分が生まれてこなかった世界など想像もできなかった。あるとき、女がまだ子供のころに父が言った。「ひとはみんないつか死ぬんだよ」父は笑いながらそう言った。しかし、女に対して言ったわけではなく、その妻に対して言ったのだ。女はそのような父の軽い調子で述べられた言葉を重く受けとめた。しかし同時に、その夫の言葉は妻を、つまりは女の母親を大いにいら立たせる結果となった。最初は雑談の延長で何事かを夫婦間で話し合っていた。気がつくと、妻は夫を責め立てるような口調に切り替えてしまっていた。これに夫のほうも警戒しはじめていた。なるべくなだめるように、諭すようにして、柔らかい口調で応対していた。もちろん、娘がそばにいることは承知していた。父の威厳を失いたくなど誰だってないはずだ。だから妙に気だけは張っていたのだ。おどおどしながらも表面は平静を保ち、新聞を全開に拡げて大げさに足を組み、いかにも父親然としてみせたが、どんな記事もまるで目に入っていかなかった。それでも必死にページを捲りながら、妻との明らかに劣勢な攻防を繰り広げていたのだ。
妻の堪忍袋はとうに切れているようだった。夫への詰問は長い時間続き、彼はそれに対して口をふにゃふにゃとさせては、当たり障りのない応答をこころがけた。一度として妻の目を見ることはなかったのだが。そして終局は突如訪れた。しびれを切らした妻が「もう知らないっ!」と一言だけ残して、居間の襖を勢いよく閉め、強い足音を響かせて夫婦の寝室へと去っていった。父はほっと胸をなでおろしたことだろう、不要となった新聞を折り畳んだ。木の椅子から立ちあがり、つかつかと歩いてキッチンへ向かった。焼酎の水割りを作るためだった。自然と笑顔がこぼれ落ちていた。獲物が捕獲を免れた際に見せるかもしれない、その屈託のない表情は、あの言葉とともに女の記憶に深く刻みつけられることとなった。しばらくすると、だが父は帰らなけばならない寝室のことを思い不安がった。どうしようかと悩んでは、酒を継ぎ足して、結局床に寝転がって眠ってしまった。
そんな父親が娘の名前を命名した。「歌音」と書いて「かのん」と読ませるつもりだった。母親はこれに強く反対した。なんだか安っぽいドラマのヒロインを思わせる、というのがその理由の柱だった。ところが話し合いの末にせめて「歌」を「花」に変えて「花音」にするのならば、という交換条件が母のほうから提示された。園芸を趣味とする母親なりの妥協案だった。この提案は父を相当悩ませることとなった。父は音楽家だった。名前の通り、娘には歌や音楽の恩寵に満ちあふれた子に育って欲しかった。なにより父にとって娘の歌の伴奏を弾いてあげるのが夢だったのだ。だからそのような未来を想起させる名を付与するにあたっては、そう易々と引きさがるわけにもいかなかった。父の意外と強情な態度に、母も余計に反発するようになっていった。
ある日曜日の朝、母親はいくつかの花木に水をやっていた。狭い庭ではあったが、それでも工夫して幾種類もの植物を育てるための場所を設けていた。建物の日陰に入る一角に植えられたアオキがいつのまにか赤い果実をつけていた。青い葉と葉の間からその実が、ぽつんぽつんと顔をのぞかせているいるのが見てとれた。母は嬉しくなり、しばらくぼんやりと眺めていた。自分で植えた木でも、毎日全てを注意深く観察することはできなくて、それでも気がつけば実をつけていたり、花がつぼみから咲く寸前にまでなっていたりするのが嬉しい驚きでもあった。植物たちの成長を見守っているなかで、育てている側の認識を越えでて、あるとき突然そのような姿を目撃できることはやはり大きな喜びのひとつなのだ。そんなことを父に話すと、あっさりと「花音もいいかも知れないねえ」などと急に、かねてよりの母の代案に賛意を示すようなことを口走った。父の表情は終始にこやかだったが、母はあまりのこころ変わりの早さにむしろ戸惑った。いままであれほどこだわったはずの名前なのになぜこうも簡単にひるがえってしまえるのか、何か他にたくらみがあるのではないか、母は訝しがった。しかし父はその自らの決断に満足しきっているようで、母にそのような疑念をぶつけさせる隙のようなものを一切与えなかった。実際、父親にとって何か深い理由のようなものがあるわけではなかった。別に名前に「歌」がつかなくとも、娘はきっと歌を歌うだろうし、わたしだって一緒に伴奏を弾いて、たまには声を合わせて歌うだろう。わかりきったことではあったが、父はそのことをいま当たりまえのように感じていた。こだわるべきところは名前などではなく、妻や娘とのこれから蓄積されていくべき関係のほうではないか、そんなことが実感として父の言葉を貫いていたのだ。そのうち母もおとなしく父の了承を受け入れるようになった。
命名から数ヶ月後に生まれてきた花音のさらに四年後に、弟の睦男が生まれた。名前は母がつけた。父はもう名前に関して何も言わなかった。ひょっとしたらはじめての娘だから舞いあがって勢いで命名しただけなのかもしれない、と母はひそかに思っていたが、そのことで父に尋ねてみたことは一度もなかった。父は父で名へのこだわりのようなことはすっかり忘れていて、ただただ睦男の誕生を喜んだだけだった。
睦男はやんちゃで利かん坊なところがあり、よく四歳も年の離れた姉にこっぴどく叱られた。叱られて泣きわめき、最後には「もうしません」と反省の弁を述べることになっても、翌日にはけろっと忘れて、またすぐにもはしゃいでまわり、やがて母や姉の説教を聞く羽目に陥った。そうした循環は幾度となく正確に反復された。
睦男が七歳のとき、睦男自身の強い要望により、家族で巨大迷路へ出かけることになった朝も、睦男はふたりから痛烈に責められた。その日はとくに悪事をしでかしたわけではなかったが、自分から行きたいと言いだしたくせにふとんから出ようともせず、起床のための意志がまるでないのだった。興奮して眠れずに過ごした前夜から朝にかけての間に、すでに行ったことのある友達の証言をもとに、空想上の巨大迷路をひとり彷徨っていたのだ。母親に叩き起こされてようやく仕度を整えたものの、電車で移動する時間、いつもなら窓からの移りゆく風景を見て騒ぐところだが、この日ばかりはひたすらよく眠った。代わりに、というわけでもないのだろうが、父が「ほう」「へえ」など誰に言うでもなくつぶやきながら、街の外観を楽しんだ。
巨大迷路は広大な河川敷の敷地のなかに唐突に出現した。それも見るからに臨時で組み立てられた、簡易的な造りだったので、そのことが父をだいぶ失望させた。緑色のビニールシートを鉄杭で固定した側壁の通路を抜けていくもので、子どもには壁の高さの圧迫を感じさせたが、長身の大人であればほんの少しの跳躍で、ゴールのだいたいの位置まで見渡せた。これが父にはかなり不満だった。子どものための遊戯場とはいえ不徹底ではないか。こうして連れ添いで一緒にやってくる大人のなかにだって心底楽しみにやってきた者も大勢いるはずなのだ。そんな憤懣が父をやるせなくさせていた。母は外で待つことになり、花音だけが「先に行くよー」と元気よくさっそうと迷路へ飛び込んでいった。父と睦男もそれに続いた。
睦男はいざ巨大迷路に入ってしまうと急速に後悔の気持ちが沸き立ってくるのを感じていた。来るんじゃなかった、そんないまとなっては誰にも絶対告げることのできぬ思いが睦男の身をいっそう重くした。通路は子どもがすれ違うには充分な幅があり、ただでさえ小柄な睦男には広すぎるほどだった。上部は吹き抜けで、どこにいても空が見えた。真白い雲が上空を覆っていたが、晴れ間のところどころから日が射していて、迷路内にいても暗さを感じることはなかった。睦男は空ばかり見ていた。ゴールするまでずっと上空を見あげながら進んでいこうとこころに決めた。ここでの方向感覚を独自のやり方で体得して、右往左往する迷路特有の楽しみを捨て去り、空の地図を作成してから迷路のなかでのとるべき行動を決定していく術法を編みだそうとしていた。十数歩も歩いていくうちに雲が退きはじめ、明度が増した気がした。瞬間で脱出できるんだというくらいの軽い足どりになっていた。だがゆけどもゆけども空に地図など当然浮かびあがってはこなかった。それに他の子ども達と接触しそうになる度に、集中力は途切れてしまい、とうとう諦めたときにはすっかり自分は迷子になってしまったのだ、ということだけがわかった。睦男はとたんに恐怖に襲われ、泣きたくなった。もう泣いていた。泣けば両親もしくは花音が助けにきてくれるとも思った。やってきたらやってきたで怒られるけどそれでもよかった。この恐怖を引き受けるくらいなら、むしろ怒られたかった。怒られることの面倒臭ささより、怒られることで安堵の気持ちに浸りたかった。だから必死に泣きながら迷路を突き進んでいったのだ。直感で「この道だ」と思える方を選択し早足で歩いた。思ったよりだいぶ長い道だった。突きあたりまできて曲がるとそこは行き止まりだった。周りには誰もおらず、絶望の淵にいま自分はいるのだ、という打ちのめされた感覚で、全身の血の気が一斉に引いていくのがわかった。引き返そうとしたとき「こっちにいたっ!」という声が聞こえた。睦男の視界に花音が飛び込んでくると、睦男は命が救われたことの喜びと同時に、どうしてもっと早く見つけてくれないんだよ!という相反する気持ちも生まれ、それらは一挙に接合して睦男の目から溢れだす涙を勢いづけた。わあわあと泣きじゃくり、姉に小言をいわれながら迷路を抜けでると、怒る母に対して謝り続ける父の姿にでくわした。そこで不意に申し訳ないことをしてしまったという反省の気持ちが芽生えてきたのだった。
それから四年もの間、毎日のようにブノアが従事させられた仕事はひたすら義父の話相手をすることだった。名目上、ブノアに課せられた仕事は超大型建造物の設計であり、この企画案を聞かされた当初はブノアもやる気でみなぎっていた。しかもその予定地がヴェラの故郷であるフランクフルトであり、いまではドイツ経済の中心地でもあるこの土地に飛び抜けて高いビルを建てるのだ、と義父は意気ごんでみせた。
なあブノア、わしはこれまで金を生むためだけに仕事のための仕事、つまり余剰のための余剰を創出するマジックに興じてきたわけだがこうして死のほうから数えたほうが近い年齢になってくるとな、これまで大切にしてきた妻や娘や親や友人たちに、昔の恋人や世話になった恩人や一番苦しいときに助けを差し伸べてくれた仕事上の相棒や大事な部下たち、そうしたすべての者たちへの感謝と同時に、みなと関係のある自分の過去の一切をなし崩しにするようなことを一から仕組んでやりたい気持ちにかられるのだ。みながいまの自分にとってかけがいのない存在であり大切であればあるほどそのすべてを裏切ってしまいたいし、誘惑というのでもなくある使命にかき立てられてそうしなければならないような確信に至ったのだ。これはだから反省や後悔の類いでもないし、慈善でもない。エゴといいたければそういえばいいがむしろ要請するのはまったく別様の他人であるところの自分であるのだ。そいつがわたしにさせている。つまりまっさらなキャンバスに新たな人生画がほかの誰かの手で描かれるその絵筆に自分がなるというようなことなのかもしれない。おまえに託したいのはそういうことだ!
そんな風にして毎日話しだされる義父の構想がいかに現実的ではないかが次第に、めっぽう頭の悪いブノアにもわかってきた。義父は自らの私財をすべて投げうってでもそこにバベルの塔を建てようというのだ。年齢とともに衰える肉体や、かえって子どものように聞きわけがなくなってくる老人の相手をブノアは嫌々ながらも引き受けさせられていた。義母もだいぶ前から別居していた。ほかの家族がこの父親に愛想をつかすなかで、いまではブノアだけがただひとりの理解者のように見えた。というのも、もうブノアにも頼れるものが他になくなっていたのだ。
フレデリカとの結婚生活は最初から困難を極めるものだった。だいたいブノアはすでにフレデリカに対する愛情を失っていた。そもそも彼女を愛していたのかだって疑わしい限りだ。しかし彼女に対して冷たく接したことは一度としてなく、さぞかし仲のよい新婚生活を送っている夫婦として周りにいるひとたちの目には映っていたことだろう。夫婦としての対外的な場面ではそうした仲睦まじいふたりの関係を演じる一方でいつしかフレデリカは連日連夜、社交場へと繰りだしては気の合う男との新しい恋を見つけだすようになっていた。
アドルフ、アドルフ、とブノアはある夜、義父の耳元に小声で話しかけた。ねえ、アドルフ、僕らは最高のパートナーだね、僕は正直フレデリカと結婚することに不安があったんだ、けどあなたがいてくれたことですっかり日々の生活が面白くなったんだ、昔はそれこそ毎日女の尻を追いかけてるような男だったけどいまは違うよ、あなたの素晴らしい構想を聞くのだけが唯一の楽しみだ、とブノアがいうと、眠りこんでいたことに自分では気づかなかったみたいに義父はぼそぼそと話の続きを再開した。
ブノアはその話を聞きながら、どうやったらこの男の全財産を自分名義にできるだろうかと思案していた。医者からもう長くはないと診断されているこの老いぼれの世話などうんざりだった。ブノアにとってはこのふざけた生活から脱するにはこの辛い「仕事」の報酬を受けとっておさらばするという選択肢しか考えられなくなっていた。どれだけ自分がいい義息として振る舞ったかを直接に陳情してお金に換算したいとさえ思っていたほどだった。老人のボケた戯言をいつまでもぐだぐだ聞いているつもりなどさらさらなかった。なぜならブノアには夢があった。なんとかして再びヴェラに近づきこちらの変わらぬ愛を告げて、ふたりのまったく新しい家庭を築きあげることがいまのブノアの最大の関心事だった。それは間違っても天空へと延び続ける塔の建立などではありえなかった。
そして雨の降る土曜日の夜遅くに、とうとうブノアはアドルフから一筆もらうことに成功した。彼に普段は飲むことのないブランデーを飲まし、完全に酔っぱらったところで無理矢理筆を持たせた。半分はブノアが自分で書いたようなものだったし、義父がそのことを翌朝覚えているかどうかさえ怪しかったがそんなことは問題ではなかった。彼の署名が入り既成事実としての家族の不和とブノアとの信頼関係さえあれば充分なのだ。あとはこの老人がくたばるのを待つだけだった。
愛想をつかした妻や娘に怒って財産を与えなかったからといってなんら不思議な話ではない。いざそのときがくればフレデリカとその母にいくらかくれてやるし、そのことでとやかくいわれる理由は何もないのだ、などときたるべき日のことを思い自らの想像をたくましくした。
しかしそんな卑しいブノアの筋書きなど粉砕するかのごとく、アドルフはこの日を境にみるみる元気をとり戻していってしまった。肌はつやをとり戻し、食欲も旺盛で軍鶏の生肉やニジマスのフライそれからにんじんやトマトを丸かじりしたりと、むしゃむしゃ貪り食った。日本からとり寄せた煎茶を一日三回は必ず飲み、毎日、朝と晩の二回ほど自宅付近を闊歩するようになった。それも屈強なドーベルマン二頭を引き連れてだ。そんな復活した父親の様子をフレデリカはたいそう喜んだ。実家にはフレデリカが最近つき合うようになった売れない絵描きのマーシャルも住みつくようになっていて、母親も別居先から引きあげて戻ってきた。家族がひとまとまりになるとブノアは自らの孤独のうちにいっそう閉じこもるようになり、アドルフもブノアの相手などしなくなった。そしてブノア抜きで建設計画を進めた。
アドルフはいったん良好な健康状態をとり戻してしまうと自らの計画がいかに無謀なものであり、実現不可能であるかがわかってきた。そこで彼は急遽計画の大幅な変更を余儀なくされ、かつての部下たちに命じて有能な専門家を集めさせた。ブノアなどとは比較にならないほどの高名な建築家や美術家、インテリアデザイナー、写真家、音楽家などに加え絵描きのマーシャルも娘の恋人という特権をいかして参加することになった。設計図ができしだい、各地より招集された有能な職人たちの手によってすぐにも建設に入る手はずが整えられた。
硬質な四本の材木が一点に交わるところで、それらを支えにして片足で巧くバランスを取りながら優雅に両手を拡げる大男が、観客に喝采を浴びていい気になっているのを年端もいかぬ子供に指摘されて今度はムキになってバランスを崩し、あれよあれよという間に地面にその自慢の肉体が叩き付けられるのをわたしは痛々しく思いながら、不毛な時間を過ごしたことの後悔とここにいるすべての者達にある種の侮蔑を感じてその場をあとにした。
かねてより「経験は未来の現実を実は先取りするのだ」と父は真顔でいっていた。彼は経験こそが将来を規定するのだとも、現在も未来もすべて過去だとも強い口調で言い放った。戦争に負けたあとの戦後社会で我々は育ち、そこで学び実践してきたことはおまえ達の時間のなかに既に顕現している。
「だから諦めろ」
というのだった。
一体何を?
彼は一言も口にはしなかったが、それはおそらく勝とうとする意欲であるものと同時に平和を希求するような精神のことと思われた。それはつまり「自分が勝てるなどと思うなよ。しかし、勝とうとしなければ安穏と暮らせるなどとも思うなよ。人生とは厳しいのだ」
ということだった。
わたしはそのことを表面上、理解したフリをしていた。
事実、父のいうことはよくわかっているつもりだった。
父は大酒飲みだった。母はそんな父をある定期的な間隔ごとに袋だたきにした。
「このひとはいっつも店のカネを使い込んで!」
としょっちゅう口癖のようにわめいていた。実家は米屋だった。
父は仕入れのための資金にまで手をだして、昼間から公園で酒を飲んでるようなろくでなしだった。しかも婿養子だったため、本来家での立場は苦しいものだと思われたが、そこは生来の世渡り上手で幾度もの危機を乗り越えてきたのだった。
「かあちゃんの財布から三枚抜いてきてくれや」
などと子供のわたしや兄を使ってこそ泥のような真似をさせてまで飲んだくれていたが、突然何かを悟ったかのように。いや、何かを悟った者とはこういう感じだ、と見当をつけてそれらしく妙に芝居がかったような調子で子供のわたしたちに哲学論議をふっかけたりすることもしばしばだったのだ。勝ち気な兄が父を言い負かそうとすると、父も必死になって抗弁し、明らかに分が悪くなれば彼は相手が子供とは思えぬほど冷徹に兄の精神性を批判した。「議論は相手を言い負かすことに意味などない。発展的な思考の道筋をつけることのためにのみ行うものだ」などと平気で嘯いた。
わたしはそんな父をさっき広間で馬鹿な群衆相手に道化を演じている大男にダブらせてみたわけだが、ややもすると彼らはほとんど同一人物といってもいいほど似ているのかもしれない。といってもわたしはとっくの昔に父親の顔など忘れてしまっているのだからそのような推測はまるっきり当てにならないのだが、どこか悲しげな目をしている。キャンキャン吠えまくる気の弱い子犬のような目をしている。などと思ったからだった。父は実家で飼っていた犬のジロウを「こいつはオレに似て男前だ」といって非常に可愛がったが、わたしはあの脆弱な犬の目を度々思いだすのだ。わたしにはそれがそのまま、記憶の層から蘇らせることのできた父の印象となっていた。